1. 繁體中文
  2. 简体中文
  3. English
本物の忍者はこの地から生まれた

(はり)

忍者は常に針を携帯していた

忍者は常に針を携帯していた。
衣服のほころびを直すのにも使ったが、あの細い針がいざという時、身を守る必殺の武器になったからだ。
針を使う武術には、「吹き針術」、「含み針術」がありました。
「三稜針(さんりょうしん)」といって、断面が三角形の針を用いた。
遠くの敵には、吹き筒を使って針を飛ばす吹き針術を使った。
含み針術は、至近距離の敵に対して針を直接口に含んで飛ばした。
敵と組んだ瞬間に目を狙い、ひるんだすきに倒したのだ。
忍術だけではなく、流儀(りゅうぎ)によっては柔術や剣術の奥義(おうぎ)、すなわち免許皆伝(めんきょかいでん)の時に、この技を授けられることもあったという。
江戸時代には、姉崎信濃守(あねざきしなののかみ)がつくった姉崎流含み針術も知られる。れっきとした武術だったのだ。

吹き針、含み針術の起源は、中国から渡来した氏族の呉服部(くれはっとり)、漢服部(あやはっとり)が伝えたという。
服部はその名の通り、機織(はたお)りの技術を伝えたとされる。その縫い手の女性の護身術だったというのだ。
そして、その末である伊賀の服部一族(服部党)の得意技だったという。
甲賀(滋賀県甲西町)にも服部党があり、伊賀の服部の源流との伝承がある。
この甲賀服部党に伝わる「羽衣石宮門流鍼法(うえしきゅうもんりゅうしんぼう)」は、針一本で並み居る敵をなぎ倒すという恐るべき術だ。
また、針一本で病気を治す術も伝える。
針仕事をすると目が疲れ、肩がこるが、そんな時に針をうって治したのだという。
そこから病気を治す術に発展したという。
忍者にとって最も小さい道具である針は、「衣服を縫う」「身を守る」「病気を治す」という三通りの大きな役目を果たす道具だったのだ。

hari

戻ル
戻ル
忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
観光案内 arrow_right