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本物の忍者はこの地から生まれた

術問答 目録(つづき) 4(じゅつもんどう もくろく(つづき)4)

 敵の滅んだ後も武功を語らず、忍び入って陰謀を巡らせた事も語らない。そのため、敵が滅んだのはその人の功績であることを人々は知らずに、敵の運が尽きて自然の道理で敗亡したように思うのである。

 このように有能な忍者は抜群の成功を収めても、音もなく匂いもなく、智名もなく勇名もない。その功績は天地が造られたもののようである。
天地の春はのどかで、草木は生長し花が咲く。夏は暑く、草木は生い茂り、秋は涼しくて草木は紅葉し、やがて落ちる。冬は寒く、雪・霜が降り、草木は枯れて根に帰る。
 それだけでなく、四季あるいは一日の間にも色々様々な事があるが、これらの事を行っているのが誰なのか知る者はいない。
 同様に、有能な忍者の智は天のように広大である。したがって人が探知できる事ではない。そのため、かえって智の無い者のように見えるのである。その謀略の厚く深いことは、大地のようであり淵のようであるから、人の思慮の及ばないものである。

 このことから忍術の源は、右に挙げた十一人ならびに四十八人の者共の及ぶところではない。
 この五十九人の者共は皆底が浅いから有名なのである。世に顕れなくても、五十九人の者共の主人達などはよく忍術を知っていたので、その深さゆえにかえって名を残さなかったのである。

 問うて曰く、我が城は堅固で五行方円の備えを乱さず、合い言葉・相形の約束を定め、夜は篝火(かがりび)を焚くよう指示し、全ての番所を厳しく守り、休み無く夜回りを行い、こまめにくせものが紛れ込んでいないかを調べている。
 こうしてほぼ忍術の者を閉め出している場合にどのようにして忍び入ることができるか。

 答えて曰く、将たる人がどれほど城を堅固に築き、兵を五行方円に備え、用心を怠らず厳しく守りを固め、くせものの紛れるのを防いだといっても、それらは皆末端の防御である。
 そもそも忍術は、平素平穏の時に始計をもってあらゆる国の政治を視て、将の五材十過をうかがい、君臣の間の是非あるいは兵士以下が主君を重んじているかどうかを察しておく。

 そしていざという時に臨んで、至霊微妙の謀計をもって、敵の心まだ発する前の初期に自然と潜り込むのである。こうして初めてあらゆる謀計が自由に操れることは、環の端なきがごとし。

 兵法に曰く、「まことに微妙なことにまで、間者をもちいないところはない」陰経に曰く、「もし隼を撃って、これが生い茂った林に入ればその跡形もない。もし泳いでいる魚が深いよどみに入ればその跡形もない。離婁(りろう)は首を伏せてその形を見ず、師曠(しこう)は耳を傾けてその音の微妙なるを聴かない。繊塵(せんじん)とともに飛ぶような勇気・武力しか持たず命を軽んずる武将にどうやって行人のことを理解することができようか云々」問うて曰く、先ほど述べられたように忍術を防ぐことが困難であれば、我が城営にも敵の忍びは侵入できるのか。

 また敵の忍びを入れない方法はあるのか。
 答えて曰く、この術は非常に高度である。忍者にどれほど敵忍を防ぐ術があっても、君道のない時は無駄になってしまうのである。

 そのため、主将はまず群臣を教え、仁義をもって万民を愛するものである。そうすれば、軍兵は死地に臨んでもいささかも君主の命令に違反することはない。これは平生道理をもって教え、愛するがゆえである。このように道を立て、たとえば火急の時に臨んでも、軍将が入ることはできず、大謀の忍術をもって城営を堅固にして、五行方円の備えを整え、上級の巧みな忍者を入れず小謀の忍術をもって軍政を出し、新旧の兵士を改め、組分けし、手分け・手配をし、合い言葉・相形をその時々に定め、夜中は篝火を指示し、夜回り陰回り役を決め、敵忍の侵入しそうな所には釣塀をし、菱を撒き、伏兵を置き、あらゆる小口を油断無く守るときは、敵忍は侵入できない。

 こうして将と忍とがその道を互いに通じ合わせておけば、此方からは敵へ忍び入りやすく、こちらの様子を敵忍がうかがうことは難しくなるのである。

 問うて曰く、忍者がこの静かな時代にあって、どこかの国の君主に仕えようとしたとする。その主君が言われるには「試しに城内に兵を集め、あらゆる小口を堅固に守らせ、用心を厳しくして、実際の戦闘の際に敵忍を防ぐようにお前を防いでみせよう。このように守りを固めた我が居城へ速やかに忍び入ることができるか。もし速やかに忍び入ることができれば、お前の望む通りの俸禄を与えよう」このような場合どうするのか。

 答えて曰く、そもそも忍術は信実无妄(むぼう)より起こる謀略であり、いやしくも君主を欺く術はない。故に万川集海、正心の下篇にいうように、この術を志す者は、私欲のために忍術を用いることは毛頭ない。
 また、道理をわきまえない君主のためにたばかることはしないのである。ただ平生静かな時、味方の城内に忍び入る術が無いわけではない。

 しかし太公望も、謀の道は周密であることを宝としている。治世の時に忍術の微妙を著して忍者の功名を求めることは非常に嫌悪されることである。もし君主たる人が他国の城内の様子を知ろうとするなら、忍びを入れることもできる。しかし、なぜ味方をあざむき、功名を為し、忍術の実理を失わなくてはならないのか。

 至極の理をもって掌を示すよりも簡単に忍び入ることを知る、その事実を見てその至理を理解しない時は役に立たない。
正道を知らない愚将には初めから仕えないのがよい。これは忍士の法である。

 兵書に「不在聖智、不能用間。不在仁義、不能使間。不在微妙、不能得間之実矣」とある。
 《聖智にあらざれば、間を用いるに能わず。仁義にあらざれば、間を使う能わず。微妙にあらざれば、間の実を得るに能わず》君主・将軍が非常に優れた智恵を持っていなければ間者を用いることはできない。人を慈しみ物事をよく処理できなければ、間者を思うように使うことはできない。心の働きが奥深くにまで達するのでなければ、間者の報告から真実を汲み取ることはできない。

 そうだとすると、この意味を持って平素治世の時忍術を著さないことを、よく考えて知るべきである。
 この理に到達すれば、乱世に臨んで主将を助け、国家を治め、大功を建てることが必ずできるのである。

忍術問答 畢

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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