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本物の忍者はこの地から生まれた

木津家(きづけ)

021_Kizuke

【写真 木津家遠景(玉瀧)】

玉瀧にある伊賀で残る最大の土豪屋敷。玉瀧は玉瀧庄として東大寺領荘園であった。しかしながら、争いが絶えなかった。

『東大寺文書』には、興福寺や北接する近江信楽庄と争いがあったとある。南北朝時代には、守護仁木義直・悪党服部持法が東大寺より玉瀧庄を押領し、東大寺が訴えるが実効はなかった。

木津家はその流れを引くと考えられる。一説に木津川下流の木津一族が戦国時代、上流伊賀に一族の勢力を拡大したともいう。

いずれにせよ、玉瀧の木津家が本家であろう。木津家には、天文13年(1544)の宮座文書がある。敢国神社の次第に、客人として伊賀有力土豪「喰代ももち殿」の名等が見える。

江戸時代には、藤堂藩伊賀者として、『高山公実録』や城下町絵図に、木津伊兵衛の名がみえる。寛永13年の分限帳に、伊兵衛以外に伊之助がみえる。伊兵衛の一族だろう。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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