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本物の忍者はこの地から生まれた

観阿弥創座の地(かんあみそうざのち)

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【写真 観阿弥像】

楠木正成が悪党として足利尊氏を悩ませたのことは有名だ。忍術秘伝書に楠木正成が忍者の始祖と記される。

『上島家観世系図』が伊賀で近年発見された。正成の妹か姉が観阿弥の母親にあたるという。「母河内国玉櫛庄橘入道正遠女」と記される。

橘入道正遠は楠木正成の父、正遠女が嫁いだ相手は伊賀有力御家人服部姓をつぐ浅宇田荘元成。その後観阿弥は長谷の猿楽師の元に預けられ座を立てる。

「観阿弥が座を立てた後、故あって母の素性を明さなかった。」とある。これは観阿弥が足利に対立していた楠木正成の甥であるのを隠すため。忍びと猿楽芸能民との関係は深い。

猿楽などの職能集団は各地を転々としたので諜報活動にはもってこいの職業で各地の情報入手は容易だった。「七方出」という忍者が変装する形態の一つが猿楽師だった。

ところで観阿弥が創座した地が、名張小波田であったという。伊賀と観阿弥との関係が深いことから、伊賀が創座の地と言っていいだろう。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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