【写真 服部氏館跡】
南伊賀黒田の悪党大江氏と並び、北伊賀には服部惣家、名誉大悪党張本と呼ばれた服部右衛門太郎入道持法の館跡がある。
『三国地志』に「服部氏宅址按、平内左衛門家長、初此に地着すと云」とある。
荘園名主の武士化が進み、東大寺の荘園支配に武力で反抗する勢力を悪党と呼んだ。東大寺はこの悪党を鎮圧するように鎌倉幕府や六波羅探題に再三訴えた。しかし鎌倉幕府御家人服部持法は消極的であった。
『東大寺文書』によると、嘉暦2年(1327)には時の守護仁木太郎義覚と高畠右衛門太郎入道持法自身が山田有丸荘に乱入し御家人より悪党に転化する。