【写真 神戸神社】
『萬川集海』に列挙された11人の忍術名人の1人。南伊賀では唯一の忍者であった。
文献としては菊岡如幻の『伊賀国忍術秘伝』、明和年間の岸勝明の『伊賀考』にも神戸の子南の名があるが活躍の記録としては文献にその名を探すことが出来ない。
『伊乱記』によると、神戸は戦国末に伊賀の土豪達が「漸く神戸の郷、天童山に集まり、各々評定して和談を調へ」と有り、上野の平楽寺とならび伊賀衆達の評定所の一つが神戸にあったので伊賀の土豪が集まっていた重要地であった。
また、神戸神社には今なお宮座が九座あり、それらの座は戦国時代より郷士が中心となって地域の指導的役割を果たしていたと考えられ、忍術名人の神戸の子南がいたのも納得がいく。