伊賀流の忍者は?

いがりゅうのにんじゃは?

忍術伝書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」に伊賀の忍術名人として次の11人があげられています

 「音なく、匂(にお)いなく、知名(ちめい)なく、勇名(ゆうめい)もなし・・・」と忍術伝書にも書かれているように、誰の仕業(しわざ)かわからないような仕事をしたのが忍者ですから、名前はほとんど伝わっていません。 ただ、忍術伝書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」に伊賀の忍術名人として次の11人があげられています。

1 野村(のむら)の大炊孫(おおいまご)太夫 (だゆう)
2 新堂の小太郎
3 楯岡(たておか)の道順(どうじゅん)
4 下柘植の木猿(大猿)
5 同・小猿
6 上野の左(ひだり)(左衛門の略称)
7 山田(やまだ)の八(はち)右衛門(えもん)
8 神戸(かんべ)の小南(こなん)
9 音羽(おとわ)の城戸(きど)(八兵衛)
10 高山の太郎(たろう)四郎(しろう)
11 同・太郎左衛門。
 

 11人の名につけられた野村、新堂、楯岡、下柘植、上野、山田、神戸、音羽、高山は、伊賀の地名で、上野・神戸・高山は現在の上野市、野村・新堂・楯岡・下柘植は伊賀町、音羽は阿山町、山田は大山田村と、伊賀北部の人ばかりです。これは、「萬川集海」を著した藤林(ふじばやし)保武(やすたけ)が伊賀最北部の湯舟 (阿山町)の人だったからと思われます。