刃心 目録(つづき) 3

こころのやいば もくろく(つづき)3

 天の理に叶うときは神仏にもちぎることになるからである。
 ゆえに北野天神も、
心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神やまもらん
と詠まれている。

 さて、人として形のない者はいないわけであるから、聖賢であっても人心が無いということはない。
 天性を備えていない者もないから、愚人にも道心が無いわけではない。それゆえ聖賢・下愚・不肖の人も少しも変わりなく、人々の胸中の方寸の間に、道心と人心との二つの心がまじり存在するのである。

 間の道に志そうと思う人は、諸事万端について心が動くたびに、これは道心か、我が身のしもべとなる人心かをよく見通して、人心を道心と混同せぬように自らをつつしむ。
 そして、ただ一筋に本心の正しい道の心を我が主人として、道心の下知法度を人心に聞かせ従わせるように、日頃努め励ましていれば、人欲の心がおとろえて次第に私欲が薄くなっていき、かの現れがたい道心が、浮き雲の晴れた月のようにはっきりと現れるのである。

 ゆえに、自ら仁義忠信の道に通達するときは、自分の心が忍の一字となるのである。
 心が忍の一字となる時はなおさら、外部のもののために心を犯されることがないので、すべてについて少しも動揺することがなくなり、義理の勇になるのである。

 なおかつ、心が明らかであるから、機に臨み変に応じることは、玉が盤の上を転がるようである。このようであればどんなに城営が堅固であっても、忍び入って大功をなすことができないなどということはあり得ないのである。

 昔、秦の世に趙盾・知伯という二人の者がいて、趙の国を長年争っていた。
 ある時、知伯は趙盾の軍に包囲された。夜が明けたら討ち死にするしかないという時、知伯は臣下の程嬰(ていえい)・杵臼(しょきゅう)という二人を呼び寄せて、
「我が運命はここに極まった。夜が明けたら必ず討ち死にするだろう。お前たちは、私に真実の意志深く仕えてくれた。だから今夜ひそかに城を抜け出し、私の三歳になる子をかくまって、この子が成人したならば趙盾を亡ぼして我が生前の屈辱を晴らして欲しい」
と言った。

 程嬰・杵臼はこれを聞いて、
「臣下として主君と共に討ち死にさせていただくことは容易なことだ。三歳の子を隠し育てて、その命を全うさせることはとても難しい。しかし臣下としての道理を通すために、どうして容易な道を選んで困難を捨てることができようか。必ず必ず主君の仰せに従おう」と言って、二人は密かにその夜、闇に紛れて城から落ちのびたのである。

 夜が明けると、知伯はたちまちにして討ち死にした。残兵も無かったので、長年争ってきた趙の国はついに趙盾に支配された。
 さて、程嬰・杵臼の二人は知伯の遺児を隠そうとしていたが、趙盾はこれを聞きつけて何度もその子を討とうとした。

 程嬰はこれを警戒して、杵臼に向かって尋ねた。
 「亡くなった主君は三歳の子を二人の臣下に託された。そこで、死んで敵をあざむくのと、命を生き長らえて子を守り立てるのとではどちらが難しいだろうか」

 杵臼は答えて言った。
 「死は一心の義に向かう所に定まり、生は百慮の智恵を尽くす中にまっとうするものである。だから私は生きる方が難しいと考える」

 程嬰は、
「それならば、私は難しい方を選んで、命をまっとうしよう。あなたは容易な方を選んで討ち死にして下さい」と言った。

 杵臼は喜んで承諾した。そして謀計を巡らせるために、杵臼は自分の子供で三歳になったのを、「旧君の遺児である」とあちこちで披露して子供を抱きかかえ、程嬰は主君の遺児を「私の子です」と言って、朝夕この子を養育した。

 そうして杵臼は山奥の住みかに隠れ、程嬰は趙盾の元に行って降服を願い出た。
 趙盾は信用せず、降服を許さなかった。

 程嬰は重ねて言った。
 「私は臣下として知伯の側に仕えて、その振る舞いを見てきましたが、ついには趙国を失ってしまうような人であることがわかりました。遠くあなた様の人徳について聞けば、知伯より優れていること実に、千里ものへだたりがあります。そこでおそれながら私は、趙盾様にお仕えし、亡国の人々のために有徳の主君を与えたいと願っております。もし私を臣下として認めて下さるなら、亡君知伯の遺児で三歳になる子を杵臼が養育して深く隠している場所を詳しくお教えしましょう。この子を亡き者として、趙国を末永く安定させて下さい」

 趙盾はこれを聞いて、
「そこまで言うのならば嘘ではあるまい。程嬰は我が臣下に加わりたいと思って降服してきたのだ」と信じて、程嬰に武官の位を授けて側に仕えさせた。

 その後杵臼が子供を隠している場所を詳しく聞き取って、数千の兵を差し向けてこれを召し捕らえようとした。
 杵臼はかねてから計画していた事なので、まだ膝の上に乗るような三歳の幼子を刺し殺して、「亡君知伯の子の運命ははかなく、謀計は露見した」とわめき叫んで、自分も切腹して果てた。

 趙盾は、これで今後我が子孫の代を傾けようとする者はいなくなったと喜び安心した。程嬰に信頼を寄せ、さらに大禄を与え、高官の位を授けて国政を任せた。

 さてここに、知伯の遺児が程嬰の家で無事に成人したのである。
程嬰は直ちに兵を発して趙盾を亡き者とし、ついに知伯の子に趙国を取り戻させたのである。
 この大功は程嬰の謀計から始まった事なので、趙王はこれを誉め、大禄を与えようとなさった。

 程嬰はこれを受けず、
「私が仕官し、禄を得ていやしくも生き長らえたなら、杵臼と共に計画した道に背くことになります」
と言って、杵臼の屍を埋めた古墳の前で自らの剣の上に伏して、杵臼と同じ苔の下に埋もれたのである。

 このような者こそを、道心に従って行う義理の勇者というのである。忍者たる者はこうありたいものだ、ということである。
 人心に従って行う血気の勇であれば、このような働きができようか。私の流れを汲む者は程嬰・杵臼を師とするべし。

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