【写真 百地三太夫石碑】
三大上忍の一人『賊禁秘誠談』によると百地三太夫は天下の大泥棒石川五右衛門の師匠で有名であったが、三太夫の名は史実的には見出せない。
『伊乱記』に、天正伊賀乱に参加した百地は百地新之丞、同太郎左衛門、喰代百地丹波となっている。
しかし、三太夫がまったくの創作だと言えない説もある。竜口が伊賀猿楽の本拠地で白山神社の棟札には十人の太夫衆の名があり”太夫”の名が多かったからだ。
竜口は伊賀と大和があり、双方一族共黒田の悪党で有名な大江一族であり、戦国期に有力な地侍であった百地氏が竜口を南北にまたぐ城山に砦を構え、南伊賀一帯を支配していた。
現在は「伊賀まちがと博物館」に登録され、予約を入れれば見学できる。