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本物の忍者はこの地から生まれた

忍町

忍町
【写真 忍町の武家屋敷】

伊賀市における伊賀上野城の城下町には、いまも、忍町(しのびちょう)という町名が残っている。その中には、東忍町・西忍町などという地名もある。

慶長16年(1611)正月、伊賀上野城の大改築をしたのが藤堂高虎である。この城は、筒井定次の築城した当時の「大坂を守るための城」から、「大坂に対する城」へと、その性格を変化させた。高虎はそれにあわせて城下町の整備も行い、外堀の南に三筋町を作り、さらにその南に伊賀者の居住区を配した。その区域が忍町と呼ばれるようになった。このように、伊賀者は下級武士であるため、その屋敷は城下町の外縁に置かれたのである。ただし、その区域に伊賀者が居住した時期は、江戸時代初期に限られ、「忍」(しのび)の名だけが地名に残ったのである。

津藩領伊賀国の歴史などを記した「公室年譜略」には「伊州(伊賀国)に代々居住する郷士(村に居住する武士)に、忍び間諜の妙術を得たる者多し、是を十人撰び出し、……各割小屋敷を伊州上野城外に於て賜ふ、今の忍町是也(これなり)」との記述がある。つまり、高虎は、忍びの術に優れている者を選び、城下町に住まわせたのである。

忍町に住む者たちは、参勤交代の時には藩主の警備をし、城下では監視を行い、領内で百姓一揆があったときには隠密捜査を行い、その内容を報告させていた。平和な世になった江戸時代においても、伊賀者は忍術・火術の鍛錬のための稽古をし、技の継承を怠らなかった。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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