伊賀市柘植町にある浄土宗の寺で、近くには関西本線と草津線が交わるJR柘植駅があり、名阪国道にも近い。正式名称は「平庸山 無量寿院 徳永寺」と呼ばれ、本尊は阿弥陀如来で、天正伊賀の乱(1579~1581)において織田信長に味方した福地氏の菩提寺にあたる。
天正伊賀の乱の際は、伊賀国にある多くの寺院が織田方によって火をかけられたが、福地氏の菩提寺である徳永寺は、消失を免れている。また、天正伊賀の乱の翌年(1582)、本能寺の変が起こった際、寺伝によると、徳川家康が和泉国堺より三河国岡崎に逃れる際、福地氏を中心とする伊賀衆に守られ、6月3日、この寺に立ち寄ったとされる。その時の礼として、寺領の寄進及び葵紋の瓦の使用が許可されている。藤堂高虎の伊賀入国後は、将軍家から寺領の寄進を受けた書状を将軍家へ返し、改めて藤堂家より寄進を受けている。
現在も、本堂には葵紋の瓦が使用されており、本堂前には葵紋瓦の見本が置かれている。その寄進状10通・石造宝篋印塔・梵鐘鐘楼は伊賀市指定文化財となっている。
「神君伊賀越え」のルートについては、『徳川実紀』御斎峠説や、『石川忠総留書』桜峠越え説など諸説あるが、どの説をとっても、徳永寺あたりを通過したことになるが、詳細な史実は不明である。