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本物の忍者はこの地から生まれた

福地城跡(芭蕉公園)

福地城跡(芭蕉公園)

現、伊賀市柘植にある中世城館のひとつで、北伊賀における最大規模級の城跡である。「福地城」「柘植城」とも呼ばれている。三重県指定史跡。

「根小屋」(山城の麓の館やその周辺の屋敷地)と「詰の城」(戦時の最後の拠点に利用される山城)をもつ典型的な城跡である。柘植の山出(やまで)集落の東へ突き出した丘陵端を利用している。西山下に平素の居館跡があり、西や東に出丸がある。

昭和56年、発掘調査が実施されて、礎石・石敷・擂鉢・土鍋・法螺貝などがみつかった。

地誌「三国地誌」によると、平宗清の次男にはじまる福地氏の居城であった、という。将軍足利義満猶子で京都の真言宗僧侶の日記、「満済准后日記」にも「伊勢(伊賀)国人ツケ(柘植)三方、ヘキ(日置)・北ムラ(北村)・フクチ(福地)」とあり、誤記・片仮名がありながらも、柘植地域の「国人」として、中央までその名が伝わっていたことがわかる。「信長公記」には、天正伊賀の乱の後、「池尻平左衛門」が城主となった、とある。

福地城の福地氏は、天正伊賀の乱に際して織田方に与して、柘植口の案内役をつとめた。「伊水温故」によると、「福地屋鋪」と立項されており、伊賀国に「逆心」して織田信長に通じた、国第一の「福人」であった、などと記す。「福人」という評価は、城の規模が大きいことにも通じている。本能寺の変以後、伊賀国を逃亡したという。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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