服部半蔵の墓所
天正7年(1579年)、徳川家康の長男信康が織田信長のために切腹を命ぜられました(半蔵に介錯を命ぜられましたが、涙で果たせなかったとのこと)が、後年、信康を供養するため半蔵は仏門に入り(「西念」と号した)、麹町清水谷に安養院を建立しました。後に、江戸城の壕の拡張工事に伴い四谷に移され、西念の号をとって「西念寺」と改められ、服部家の菩提寺になりました。半蔵も、慶長元年(1596年)に55歳で没し、西念寺に葬られました。墓は、本堂右隣にあり、新宿区指定史跡となっています。
また、半蔵は「槍の半蔵」との異名をもつ槍の名手としても知られ、半蔵の愛用した当時の槍が寺に所蔵されています。(区登録文化財)
http://www.pref.mie.lg.jp/tokyo/hp/yukari/04.htm
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