正心第一
正心第一
そもそも忍びの根本は正心である。
忍びの末端は陰謀・佯計である。
そうであるから、その心を正しく治めないときは臨機応変の計略を運用することができないのである。
孔子曰く、その本乱れて未だ治まる者はあらず。
いわゆる正心とは、仁義忠信を守ることにある。仁義忠信を守らなければ、強く勇猛な働きを成すことができないばかりか、変化に応じて謀計を運ぶことも叶わないのである。
故に大学に曰く、心ここににあらざれば見れども視えず、聞けども聴かず、食してその味を知らず。
こことは「仁」「義」「忠」「信」を指していうなり。
ぶ者は本を外に、末を内にするなかれ。
鄭友賢曰く、いにしえの人は大事を立て大業をなすとき、いまだかつて「正」を守らなかったことはない。
「正」は意をとりいれず、いまだかつて権を借り道をなさないことはなかった。
そもそも事が権力を用いるに至って何ほどかなさんや。ただ道のあるところは、結局「正」に帰すのである。
即ち権力は害をなさず聖人の徳なのである。
兵家にあっては「間」という。聖人にあってはこれを権力をいう。
湯王は伊を得ることなくして、夏王の悪行を知り尽くすことはできなかった。伊が夏にいなければ、湯王の美徳をなすこともできなかった。武王は呂を得ることなく、武王の徳をなすことはできなかったのである。
この二人がいなければ、天に従い、人に応じて民を吊し罪をばっして立つことはできなかった。
これはつまり夏商において「間」をなした事以外に、その道がついに正に帰した根拠を何と考えるのか。
あなたがこの文意を見るとき、忍びの方術は、つまり私欲のためではなく、また道をわきまえない君主のためにはかるものではない、と知っておくべきである。
もしこの主旨にそむき、私欲のために忍術を行い、道をわきまえない君主を補佐して謀計を立てたときは、どのような陰謀を運用しようとしてもその陰謀は必ず露見するにちがいない。仮に、露見を免れて、一旦は利潤があっても結局は自身の害となることは必然の理である。つつしむべし。
忍歌に曰く、
忍びとて 道にそむきしぬすみせば 神や仏のいかで守らん
もののふは 常に信心いたすべし 天にそむかばいかでよからん
いつわりも何か苦しき 武士は忠ある道をせんと思はば
正心條目
一、この道を生業とする者は最も顔色をやさしく穏やかで、心から「義」と「理」を正しくしなければならない。
法に曰く、穏やかな顔は奇計の始めである。また、古語に、樊かいの怒りは、楊貴妃の笑みで関門が破られるのと同じようなものだ、といわれている。
一、人の真偽を黙識して、人に欺かれることがあってはならない。
語に曰く、他人に自分のことを知られなくても思い煩わない、他人のことを知らないと思いわずらう。
一、平生堅く真実を守り、戯れ言あるいは些細なことにも偽りを言ったり、行ってはならない。
もしこれに反し、言葉では真実を述べていても言葉と行動が一致しないときは、「あれは嘘つきだ。用いてはならぬ」と衆人に言われて、捨て置かれることになる。
法に曰く、妄言の常にない者は一戦のときに重要なことを言う。
唐の羊祐は晋の大将であったが、敵の大将の陸孫が軍中で病気になったというのを聞いて、自分の旧友だからと薬を贈った。陸孫は疑う気配もなく受け取って服用したのである。
いかに旧友の霊薬とはいえ、敵が送ってきたものであるから、普通ならば計略かと思うはずだが、羊祐は常に信実の至って深い人であったので、陸孫は薬を飲んだのである。敵将でさえこのようであるのだから、軍中の兵士たちが羊祐の言行を仰ぎ願ったことは十分に察することができよう。
子路は常に信実が深く、約束は言うに及ばず、突然言い出したことでも、すぐにそのことを合わせ行って少しも遅いこともなく、万事につき真実誠のみのひとであったので、子路が一言言い出せば、その言葉が終わらない内に人々は信服したのである。
ゆえに孔子も、
「わずかな言葉で訴訟を裁き、人々を納得させることができるのは、弟子の中では仲由だけであろう」と言われている。
あるとき、小制(国)の射という者が魯の国と会盟するとき、射が言うことには、子路と自分が約束するならば魯の国とは会盟をとりやめるということであった。
同盟を信用せず、子路の一言の約束を信じるというのは、なかなかできることではない。
これは常日頃子路が真実深く、少しも偽りのない人であると人々が考えていたからである。
しかし、真実とはいっても尾生の真実のようなものはよくない。
尾生はある女と橋の下で待ち合わせていたが、汐が満ちてきたのに橋の下から去ろうとせず、溺れて死んだのである。橋の上で待てば男として言葉を変えたことになると思ったのである。
一、この道を生業とする者は、いざ戦ともなれば主君のために大いに忠節を尽くし、大功を立てることだけを望み、主君の安否、国の存亡は自分一人の肩にかかっていると心得るべきである。成功し名を遂げて退身することこそ臣下の道である。