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本物の忍者はこの地から生まれた

術問答 目録 1(じゅつもんどう もくろく 1)

 ある問いに曰く、忍術という事はいつの時代からはじまったのか。答えて曰く、そもそも軍法とは上古伏羲帝より始まり、その後黄帝に至って盛んに行われるようになった。
 それより後代に伝わったが、心ある人でこれを尊く用いない者は無かった。つまり、忍術は軍用の要なのである。
 初めに伏羲・黄帝の時代に起こったといっても忍術の事は書物には見られない。ただ、その質のみである。この意味ではときどき古書に見られる。

 問うて曰く、忍術は軍法の要用であるという理由は何か。答えて曰く、孫子十三篇の中の用間の篇に忍術を記載している。その他歴代の軍書、また我が国の兵書にもだいたいが、まぜてだされていないものがなく、この術が記されている。

 忍術が用兵の重大な要で無いのなら、どうして歴代の明哲がこの術を書き残し、伝えたりするだろうか。また、あなたがきかないことはないだろう。軍書に兵法は内を治め外を知るとあるが、これは敵の内計・密事等を詳しくこまかに知ることをいうのである。

 敵方の様体をよく知るには何の術をもって知るかといえば、地形の様子・敵の進退・人数の多少・敵合の遠近等を遠くから速やかに見察し、主将へ告げるのは見張りの武者の役目である。

 また、敵の塀端・柵端まで近くに忍び行ってその様体を見聞し、あるいは敵の城中・陣中に忍び入り、あらゆる様子・陰謀・密計等まで詳しく聞き、詳しく見て、主将に告げ知らせ、方円曲直の備えを決定し、奇兵正兵をうまく使って、敵を征伐できるようにするのは忍術のなせる技である。もしこの術が無いときは、敵の計略を知り、勝利を天下に全うすることは困難である。

 このことから、忍術は軍の要用であることを知るべきである。問うて曰く、中国においてもこの術を忍びと名付けているのか。答えて曰く、忍びとは我が国の呼び方である。呉の国では「間」といい、春秋の時代には「諜」といい、戦国より後は「細作」・「遊偵」等と呼ばれているものも忍術の事である。

 また六韜(りくとう)には遊士といい、李筌(りせん)の陰経には行人となっている。このように、時代によりまた、主将の意によって呼び方が異なり、我が国で忍び夜盗・すっぱ・簷猿・三者、饗談等という類のものである。

 問うて曰く、忍術の名が中国で間諜・遊偵・細作・遊士・行人等と呼ばれるその理由はあるのか。
 答えて曰く、孫子用間の篇、間の字の註に、「間は罅隙(かげき)なり。人をして敵の罅隙に乗らしめ入りてもって探りその情を知るなり。」とある。つまり、間とはすきま・ひまという意味である。人を使って敵の暇・隙間をうかがい、それに乗じて敵の城陣に入りこみ、敵の陰謀・密計万端のことを探り、こちらへ知らせてよこす。

 あるいは、便隙(べんびん)をうかがって敵の城陣に入らせその城営を焼き、夜討ちなどをたばかる職である。

 また、間の字に「へだてる」という読み方がある。それ故、忍術に隔てるの術がある。敵の君臣の間を讒言(ざんげん)をもって隔て、また敵がその隣国の君主と和合の間を隔て遮り、援兵等のないように工作し、あるいは敵の大将とその部下との間を隔てて相害するように仕向ける術を使う。
 このことから、「へだてる」という訓読みがある。和漢ともに昔から敵方の内乱を謀って勝利を得た先蹤(せんしょう)は大変多い。
 間の字の意味はある説に、門の中に日を入れるこの術の実理には、敵の城陣へ間断なく突入するのは、例えるなら日光が門戸に射し映るとき、少しでも隙間があれば直ちに中に射し入る様に、速やかに入るという意味があるという。

 この理は非常に深く、微妙であるから、普通の人には難解である。また諜の字、偵の字二つながら「うかがう」と読む。大体において忍の術は遊ぶような体でいて、その間に敵の便隙をうかがい、侵入してその様子を見聞する職であることによって偵などとよぶのである。

 楠正成の忍術に、四十八人の忍者を三番に分けて、十六人ずつ常に京都に置いておくというものがある。この者共は様々な密計を用いて京中の様子をうかがい知り、楠に報告していた。これが遊偵の意味にあたる。
 また、細作というのは忍者が敵方へ行って様体を充分に見聞し、大将に報告することによって、大将が謀略の術を細かく作るという意味である。
(略)
 また遊士というのも、遊んでいるようで心に深い考えを持つことから名付けられたと思われる。行人というのは、敵と味方との間を往来することから、また行の字に「たてつたう」、「たいらく」という読みがある。このような意味をもって行人と名付けられたと考えられる。

 問うて曰く、中国でこのように色々に名を替えているのはどういうことか。
 答えて曰く、孫子に間と名付け、そうしてからこの役人を間者という。故に間といえば、いつの世もこの役人の意味するところははっきりしている。人は皆これを知っているのである。そもそもこの術の奥義は、名と芸・術ともに人に知られることを禁じている。人に知られないことをもって大きな功をなす。ゆえに、深く秘することを基本とする。

 そのため中国では代々名を改めて、世間にその職であることを秘するために名が替ったと考えられる。

 問うて曰く、中国においては名を改め、我が国では忍びと名付けているのには必ず理由があるはずだが如何か。
 答えて曰く、中国でこの術の名を間諜・遊偵・細作・遊士・行人などというのは右に答えたように、敵の便隙をうかがい入り、あるいは敵の君臣や隣国の交わりなどを隔てる職であるという意味で名付けてある。これらは皆、忍術の末端の理を取って名付けられているのである。

 我が国において忍と称するのは、つまり刃の心と書くその意味によってこの術の名とするのである。これはあまねく術の本質をもって名付けられている。
 この意味を考えることなくして、術の淵源を知ることは困難である。

 曰く、できるならその子細を聞きたい。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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