およそ兵は国の大事、死生存亡の道である。国家安危の基本として極めて大切なことであり、細小なことではない。
その意味するところは、はなはだ深重で、軽率に扱ってよいものではない。
したがって、詳しく細かな計画を始め、五事七計を明察し、人の心をうまくとらえ、その上で、謀略をくわだて、奇正(きせい)を使う。
これは、「智」「仁」「信」「勇」「厳」の五材にかない、天・地・人の三利則にそむくものではない。
千人の兵をもって億万もの敵に当たるとしても、百戦百勝が可能であり、なんら危ういことはないのである。たとえ、世に主将の将智の持ち主であることがまれであったとしても、孫武子が闔閭(こうりょ)を助けたこと、子房を重用して沛公が天下を平定したことを知るべきである。
他にも、主が賢将の明智を大切し、国を執り、家をつつしめば大国とても恐れるに足りない。これらは皆、主が全体に備えをするため、将は必然的に賢くなるのである。
昔から、我が国にも名将は多くいた。しかし、天下を治めたといっても、威力を持って国を奪っただけである。
誰か仁義をまっとうした者がいるだろうか。
楠正成などは臨機応変の者であったが、主に徳が無かったのである。そのため、義の一篇を守り戦死して終わる。
それ以来、誰がいるのだろうか。今の末世では、人心はねじ曲がり、ただ言葉だけを重要視して実質を用いることができない。古きを振り返っても、周の民は殷の民に及ばず、殷の民は夏后氏の民に及ばず、夏后氏の民は虞氏の民に及ばない。
末代の衆民の争いがこの時代の人々の争いに及ぶだろうか。これらの者の中で、事に臨んで将の命令を重要視して義を守り、臨機応変の忠を尽くして戦う者がどれ程いるだろう。
もし、ここに名将がいて非常に巧く謀計をくわだてても、兵が皆、臨機応変に働かなければ、なかなか勝利をおさめることはできないのである。
戦は敵の虚に乗じて速やかに不意を撃つものである。その原則を考えると、謀計は多くても、忍術がなければ、敵の密計・隠謀は知ることはできない。
呉氏・孫子の兵法を調べ、張良・韓信などの秘書を読んでみても、軍法は間諜、すなわち敵の虚実を知る事が無ければ、数里の長城を攻め落とし、三軍を落とし穴に落として全勝の功を成すことはできない。
一人の働きで千万者人数を滅ぼすのは忍術でなくてなんであろう。忍術の成就に至るまで、ぜひ学ぶべきである。そうすれば敵は、鉄の囲み・垣根を築いても、兵を城郭に侵入させないでいられる術などないのである。
その術は、神通妙用の術ではなく、剣術の討つに似て、討ち下ろし帰って不意を撃つのである。
故に、間林精要(かんりんせいよう)の綱領をかかげて、忍術の書二十有余巻問答、凡例などを併せて軍事の奥義を記すものである。そのための序文とする。
延宝四年 辰仲夏日
江州甲賀郡隠士藤林保武 序