弥勒寺は四十九院の一つであった
『伊水温故』によると田守とも称した。木津川支流久米川下流の地にあり、行基が聖武天皇の勅を奉じ諸国に四十九院を創建しその1院が当地に建てられ四十九院村と呼ばれる。
伊賀は大和と共に現世仏教が布教れた地であり、その土台になったのが伊賀四十九院であった。弥勒菩薩を本尊とし平安朝の中頃から山伏達が兵法、武術、忍術を教える学塾になった。生み出した第一号の山伏兵法習得者は藤原千方と云う。
弥勒寺は四十九院の一つであったが天正伊賀乱で兵火を経て明治40年(1907)に廃寺となった。しかし今も乳授けの祈願者が多い。中世の土豪として増田氏、中森氏、知高氏の城跡が残っている。
明治5年(1872)に弥勒寺は廃寺となる。【写真 弥勒寺廃寺】
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