伊賀の隣国、伊勢を治めていた北畠家。「北畠具教」(きたばたけとものり)は織田信長との戦いに降伏し、実質的な権力を織田家に奪われてしまいます。その後、具教は、天正4(1576)年11月25日、信長と信雄の命を受けた旧臣「長野左京亮」(ながのさきょうのすけ)らに襲撃され、北畠家は断絶。北畠神社は、江戸時代前期に北畠家の末裔が祠を建てたのがはじまり。神苑の一部には北畠家の居舘の一部であった庭園が今も残り、戦国武将らしい素朴で、野趣にあふれた枯山水を見ることができます。