天正7(1579)年9月17日、青山の滝村(たきむら)に住む伊賀衆、滝三河保義(たきみかわやすよし)は青山峠を越えてきた敵将、柘植三郎左衛門(つげさぶろうざえもん)尉の首を打ち取る程の活躍をしたにも関わらず、討ち死にしました。それを悲しんだ弟の宥海法印(ゆうかいほういん)は、本能寺の変後、兄を供養するためにこの寺を建てたと言われています。