天正9(1581)年9月27日、近江国日野の城主「蒲生氏郷」(がもううじさと)を大将とした織田軍7,000の兵は、玉瀧口から攻め込み伊賀衆が籠る「雨乞山城」を攻めました。雨乞山城は、その名の通り雨乞いの山を城に転用したもので、山頂を中心に曲輪(くるわ)を配置し、山城に仕立てたものでした。