伊賀地侍衆の集会場のひとつとされ、南北朝時代には既に開基されていたと伝わっています。岡山の頂上付近に本堂があり、参道には「三体地蔵」等の石仏が数多く点在。戦国時代には本堂だけでなく回廊や仁王門、庫裏(くり)があったとされますが、天正伊賀の乱の際に焼失したと伝えられています。