【写真 澤村家屋敷 非公開】
家伝では神護景雲3年(763)に春日神社が勧請された時より川東に住み、中世は土豪として川東一帯を治めていた。
澤村家は春日神社の真南に位置し、屋敷周囲は今なお土塁や堀が残る見事な中世城館である。『三国地志』、『伊乱記』、『伊賀付差出帳』にも名があり、津藩2代目藤堂高次の代より江戸時代まで伊賀者として仕えている。
『隠密用相勤候控』『澤村家由緒書』には、伊勢国一揆の動向の探索や異国船接近の偵察をしたとある。特筆されるのは、嘉永6年(1853)にペリーが黒船4隻で浦賀来航の際、甚三朗保祐は老中の命により、最後の伊賀者としての黒船探索を行った。
探索の証拠としは乗組員より2通のオランダ語の書類などが残っている。また、携帯用の狼煙筒、水中松明などの忍器も残されている。