【写真 湯船の宮杉家墓碑】
『萬川集海』に書き記されている、11人の忍術名人の中でも抜群の忍者であった。姓は伊賀崎。寛永13年(1636)の『伊勢国司諸司系図』に登場する20人の忍びの衆にも名があがるほどである。
上忍藤林長門守に属したと考えられる。近江の六角義賢の家臣百々が裏切り、沢山の城に立て籠もった。長門守に命じられた道順が、伊賀者44人甲賀者4人48人で攻めることになった。
途中、湯舟の宮杉という陰陽師に占ってもらうと「沢山ニ百々トナル雷モイカサキ入レバ落ニケル哉」という歌を送られ大いに喜んだとある。妖術(ばけもの)の術を使い沢山城に忍び、城内に火を放ち落城させたと記される。
楯岡には道順高弟の大炊氏城跡が残っている。また、湯船の寺には宮杉家の墓碑が残り、『萬川集海』の記述の裏付けが取れる。