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本物の忍者はこの地から生まれた

楯岡ノ道順(たておかのどうじゅん)

006_Tateoka_dojun

【写真 湯船の宮杉家墓碑】

『萬川集海』に書き記されている、11人の忍術名人の中でも抜群の忍者であった。姓は伊賀崎。寛永13年(1636)の『伊勢国司諸司系図』に登場する20人の忍びの衆にも名があがるほどである。

上忍藤林長門守に属したと考えられる。近江の六角義賢の家臣百々が裏切り、沢山の城に立て籠もった。長門守に命じられた道順が、伊賀者44人甲賀者4人48人で攻めることになった。

途中、湯舟の宮杉という陰陽師に占ってもらうと「沢山ニ百々トナル雷モイカサキ入レバ落ニケル哉」という歌を送られ大いに喜んだとある。妖術(ばけもの)の術を使い沢山城に忍び、城内に火を放ち落城させたと記される。

楯岡には道順高弟の大炊氏城跡が残っている。また、湯船の寺には宮杉家の墓碑が残り、『萬川集海』の記述の裏付けが取れる。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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