【写真 霊山寺】
『萬川集海』に登場する、11人の忍術名人の中の2人、兄弟か親子だろう。立川文庫『猿飛佐助』や白土三平著『サスケ』のモデルになったと思われる。
『萬川集海』「歩法四ヶ条」に、「浮足トハ木猿伝ノ枝葉ノ意デアリ口伝アリ」。同じく、「利便地十二ヶ条」には、伊勢の田倉城ヘ忍び込んだ際に城内に入り放火して落城させた話、「見敵術四ヶ条」には、犬の吠える声を真似て敵の怒りを誘い、その怒鳴り声で相手の寝ている場所を確かめ討ち取った話がある。
下柘植では、中世、平定盛の子孫平宗清を祖とする日置一族が蟠踞したと伝わる。『三国地志』には、日置弾正が伊賀の出自とある。日置流は和弓の流派の一つで現代も小笠原流と2代流派の一つだ。
このように、伊賀は武術が盛んであったと考えられる。下柘植に日置城、西之城、高石館が『三国地志』に記される。また、伊賀最高峰霊山の中腹にある霊山寺は黄檗宗、十一面観音が本尊である。