【写真 福地城】
伊賀で最高峰である霊山西北の麓、柘植山出に位置する。規模は東西220m南北170m。石垣、土塁、空堀がよく残る大規模な城で、柘植城とも呼ばれた。
平宗清を祖とする福地氏は『満済准后日記』に、正長2年(1429)「国人柘植三方、日置、北村、福地」と名がある。
『伊水温故』に、「山城なり境地よし福地伊予当国に逆して信長に心を移し天正9年(1581)討入案内者となると記される。その前年、「定成千石の熟田を所有す国第一の福人成り」とある。
「伊賀惣国一揆」においても、重要な役割を担っていたと考えられる。翌年天正10年、本能寺の変で信長が倒されたため、福地氏は駿府に落ち延びた。
松尾芭蕉は福地一族であったため、柘植より上野に移った説がある。現在福地城跡は芭蕉公園として、親しまれている。