【写真 竹島館址】
『宗国史』に竹島三太夫は、寛永九年(1632)伊賀者として十五石三人扶持と記される。藤堂藩伊賀者澤村甚三朗と共に伊勢一揆を探索したり、異国船探索の記録が残る。
三太夫は澤村家所蔵の狼煙筒に、稲増次郎兵衛、重福彦次郎、和田芬助、澤村甚三朗と並び東組一員として列記されている。
竹島家は平宗清を祖とする日置一族と伝わる。日置弾正は日置流弓術の祖である事でも有名だ。
『伊乱記』には、天正伊賀乱で竹島右衛門景雄が壬生野城で近郷土豪と共に戦うとある。『竹島家過去帳』や『竹島家過去帳』に湖岸栄江大姉とあり松尾芭蕉の姉が嫁ぐとある。