【写真 山頂にある天正遺跡碑】
下友田にある雨乞山(標高268m)。430年前、ここで信長勢と伊賀勢の戦いが繰り広げられた。天正伊賀の乱である。
『伊乱記』に天正9年(1581)、信長の武将蒲生氏郷が玉瀧口より7千余りの兵を率いて進攻。槇山、玉瀧、内保、湯舟、友田の土豪が雨請山に集まる。
氏郷は鉄砲を撃ち矢を飛ばした後一気に攻めるが伊賀勢も応戦。山内左衞門等が籠もるが、所詮は多勢に無勢、次第に伊賀勢は不利になり、夕陽が落ちる頃には落城した。
この戦について、その地に伝わる古老から聞き取った話を伝え聞いた。伊賀勢は奇策を使ったという。
奇策とは裸の女をいきなり敵の前に走らせ、敵がその女に見とれている間に反撃したとか。急な登坂に竹皮を敷き詰めその上に油を流し登れないようにしたという。
まさしく忍者的ゲリラ戦術だ。山頂に天正伊賀の乱のことを伝える石碑と祠がひっそりと佇む。