【写真 山内家碑と渡来系石像】
天正9年(1581)、天正伊賀乱の際に、伊賀北部の山内左衛門尉を始め、武内氏、福味氏、川合氏、福森氏、藤林氏ら伊賀衆が雨請山に立籠もった。
山内氏の城は北側中腹にあって、四方の土塁と西と南に空堀がある。地元の人たちは、ここを猫屋敷と呼んでいる。これは、戦闘の際の山城に対して、平素の麓の館や城を根小屋と呼んだのが訛ったものだろう。
『伊乱記』に、蒲生氏郷軍は鉄砲や矢を飛ばし一度に攻め込むが伊賀勢もこれに忍者得意のゲリラ戦法で応戦した。氏郷軍には望月猪太郎という屈強の大男がいて伊賀軍を苦しめたが山内左右衛門尉が討取った。
しかし多勢に無勢で徐々に伊賀側が不利となり夕方頃には落城した。
山内氏は永禄11年(1568)に近江元守護の六角承禎が伊賀に逃れた時と天正元年(1573)石部城に籠城した時に承禎より「感状」を受けている。雨請山登山入口に、山内家石碑と渡来系の石像2体がある。