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本物の忍者はこの地から生まれた

曽我一族(そがいちぞく)

026_Soga

【写真 曽我五郎左衛門の陣羽織】

下阿波には代々藤堂藩に伊賀者として仕えていた阿波庄右衛門、植田覚左衛門、曽我五郎兵衛の3人の伊賀者の名が、『宗国史』や『伊賀付差出帳』に記される。

曽我五郎兵衛は、慶長19年(1614)にも記されている。大坂夏の陣の戦闘要員であっただろう。

3人の伊賀者うち、五郎兵衛だけが、上野城下の忍町に、伊賀者屋敷の一人に名を連ねている。

曽我家はその後、200石取として、藤堂藩軍師に出世しているのも特筆される。曽我一族の菩提寺の神幢寺(じんのどうじ)は天正伊賀乱にて焼失したが、その後、修験者林昌院が再興。侍墓ともいわれる。

同寺の墓地には烏八臼(うはっきゅう)と俗称される字を頭に入れた珍しい石碑がある。これは救縛の故事になぞらえた成仏保障の呪文。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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