【写真 阿波館】
寛永13年の奥書がある、『伊賀付差出帳』という文書がある。この文書は藤堂藩初期の伊賀付分限帳である。その末尾に「忍衆二十人名寄」がある。
これは伊賀上野城代と伊賀奉行の連署にて江戸家老に差しだしたものである。藤堂藩の最初の忍者名簿である。この筆頭に、阿波庄右衛門が記される。
藤堂髙虎が伊賀入国して、伊賀の土豪より、大坂夏の陣の戦争要員として50名が間諜として選ばれた。元和偃武以降は、伊賀者として、20名が選ばれたようだ。
庄右衛門は切り米「三拾石十人扶持」、江戸家老藤堂四郎右衛門が取り次ぎによる召し抱えだ。他の伊賀者は伊賀奉行の召し抱えだから、特別の事情があったのだろう。
阿波氏の城跡は永田の丘陵上にあるが、須原に土塁に囲まれた東西60m南北70mの居館を有し、地元では「堀」と呼ばれ西側は服部川に面している。