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本物の忍者はこの地から生まれた

永井城(ながいじょう)

028_Nagaijyo

【写真 出後公園より見える永井城跡】

出後には比較的大きい規模の城跡が多く残っている。永井城跡は出後から喰代へ通じる道左手の丘の頂にある。

『三国地志』には城主は永井内膳とあり、城には見張り台が残る。

『伊乱記』によると、天正7年(1579)の阿波口の合戦に内膳は参戦している。また内膳は喰代の三大上忍の一人百地氏に属する忍者で、同じく喰代の田中民部と共に名うての忍者と云われた。

『統集懐録』には藤堂藩伊賀者として子孫の永井又兵衛と田中安丞は仕え、さらに鳥目付としても安政5年(1858)『庁事類編』には、伊賀者の永井又兵衛と田中逸八郎の名が見える。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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