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本物の忍者はこの地から生まれた

滝半九郎(たきはんくろう)

034_Taki_hankuro

【写真 竜泉仙寺】

藤堂藩伊賀者に滝半九郎という忍者がいた。

寛永13年(1636)、「伊賀付差出し帳」末尾の「忍衆廿人名寄」に、切米拾八石四人扶持・滝半九郎の名が記される。寛永・寛文期の上野城下町絵図の忍町に屋敷がある。

地名どおり滝には見応えがある滝がいくつかある。滝地域北部は旧大山田村坂下(さかげ)に接する。坂下に源を発する上津川が、滝集落西部を流れる。

滝家近くにある滝仙寺寺伝には、天正7年(1579)、第一次天正伊賀乱の際に、滝三河保義という勇敢な郷士がいた。織田信雄が国境を攻め入ろうとすると、迎撃の軍を率い、敵将柘植三郎左衛門尉の首を討ち取った。

しかし、戦況に利無く保義は討死。2年後の第二次天正伊賀乱で、信雄軍勢が攻め入り討ち滅ぼされる。本能寺の変後に、阿弥陀如来像、大威徳明王画像などを滝村に持ち帰り滝仙寺を開いたという。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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