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本物の忍者はこの地から生まれた

国見山(くにみやま)

036_Kunimiyama

【写真 吉田兼好石碑】

川上・老川地区の南に位置する。東北部を川上川、西部を前深瀬川が北流。霧生、高尾に抜ける道があるが、大部分は山地。

『伊勢国司諸司系図』によると、戦国時代には、北畠氏の家臣に、種生往社寺奉行の小岳周防守の名がある。種生神社にある、永正2年(1505)の棟札には、この地の豪士と考えられる泉、小竹、松尾氏など20名の名が連ねる。

『三国地志』には、「小嶽周防堡並宅址・松尾氏堡・泉氏堡」と記される。中でも小竹氏城は種生神社西にあり、東西160m南北70mの規模を持つ。

天正伊賀乱の際には、織田信長軍の攻撃で、国見山に逃げ込み籠城し抵抗するが落城したと伝わる。種生草蒿寺跡を含む周辺を国見山と呼ぶ。

この地には特筆すべき事がある、『徒然草』で有名な、吉田兼好が晩年この地に隠棲し没したとの伝承がある。

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忍者の里 伊賀(三重県伊賀市・名張市)
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