【写真 北畠城】
奈垣と神屋の境界にあたる、通称城山と呼ばれる中世城館跡。伊勢国司滅亡の際に、北畠一族の再興を計って築かれた北畠具親の城跡である。
山の丘頂には本丸と思われる大地、北には館があったと思われる二の丸、空堀を隔てた南には土塁が取り巻き、山全体が城として利用されている。
『三国地志』や『勢陽雑記』に、次のような記述が記されている。天正4年(1576)に、北畠具親の弟具教が、北畠(織田)信雄の家臣が具親を謀殺し、さらには一族や旧臣も殺害する悲報を知る。具教は奈垣吉原氏を頼った。そこで、北畠家再興を目指す。
北畠家旧臣や恩顧の土豪は、呼応して伊勢各地で兵を挙げるが、所詮は多勢無勢で悉く敗れてしましう。戦国時代、南伊賀の勢力のほとんどは北畠氏に属していたと考えられる。