【写真 極楽寺】
鎌倉時代に道観という長者が一ノ井に住んでいた。道観は赤目の九か村を支配し栄華を極める。しかし、没落し奥山里香落渓に移り住む。
やがて、自分の不徳を悔い改め、東大寺二月堂の再建に寄与。道観遺言により松明調進が始まった。
この頃に悪党が出現する。中でも南伊賀の悪党、黒田の悪党と呼ばれ有名だ。伊賀忍者の原形になる。ゲリラ的戦術が巧妙で、いくら弾圧されても次々に現れる。活動期間も長く、対処に東大寺は手をやいた。
しかし、赤目の悪党たちも、松明調進ついては、荘園時代から続く行事で、強制されたもでなく、松明調進には従ったという。まともに戦えば明らかに不利である。
悪党は最低限の生きるためのとき、東大寺と戦う。それ以上は望まなった。だからこそ、東大寺という最大の寺院に、しぶとく数百年にもわたり対峙できたのだろう。生きるための忍者的哲学だと思う。