【写真 青蓮寺城】
『東大寺文書』に、青蓮寺は11世紀より現れる。鎌倉末期、「黒田庄悪党交名注文」に、黒田悪党の一味であった青蓮寺孫五郎静蓮、滝野七郎、名誉の悪党といわれた青蓮寺八郎らの大江一族がここに勢力をはっていた。
地形的には南東部は急崖で青蓮寺川に臨み、南は山で大和国に繋がる。二つの谷の水は西に流れ、合流して釜石川となり宇陀川に注ぐ。つまり、自然の要塞といっていいだろう。
古墳も多く、伊勢平氏が隠れた伝説もある。俗称ヘゲヤシキ(平家屋敷)や入道谷の子字がある。戦いに敗れた武者が潜む地が多い。
戦国期、青蓮寺城が作られる。地蔵院の北裏にあり青木城とも呼ばれるが、元は青蓮寺一族の城だろう。四方の土塁の幅が広く、東・北・西の三方に空堀が有り深い。
『伊乱記』で、柏原合戦のときに、青蓮寺新兵衛の名が見える。