【写真 数馬茶屋】
越鍵屋の辻の決闘は、寛永11年(1634)、現伊賀市荒木馬苦労町、鍵屋の辻で起こった。
事の起こりは、寛永7年(1630)、岡山藩主池田忠勝の小姓であった渡辺数馬の弟、源太夫が、同僚の河合又五郎に斬り殺されたことにある。数馬は義理の兄である荒木又右衛門に助太刀してもらい復讐を遂げた。
又右衛門は伊賀荒木で出生。しかも、忍者の名門服部一族の出自だ。荒木には又右衛門生誕の碑があり、そこの看板に又右衛門の幼名が丑之助と記される。
名から判断しても、生まれたときから体が相当大きかったようだ。荒木又右衛門と名乗って所持した刀「法橋藤原来金道作」の長さは83.5cmある。所持する者を推測すれば身長は180cmを越える。
小回りがきかなければならない忍者には適さないので剣術家となったという説にはうなずいてしまう。