【写真 花垣神社の芭蕉句碑】
服部一族氏神。服部半蔵(千賀地半蔵)家は紀州保田庄の豪族の出で当地の服部家を継いだ。興福寺領であり古来より八重桜が本当に美しく花垣郷と呼ばれた。
予野は『沙石集』巻九の「芳心アル人ノ事」の段に著名な起源伝承がみえる。この花垣の桜があまりにも綺麗であったので、上東門院彰子が寺の別当に運ばせようとした時、大衆が憤慨し法螺貝を吹いたりし別当を追放せよと騒いだ。
そしてその風流心に感じた彰子は花を守る宿直を置いた伝わる。今なお神社すぐ近くに「花守」姓の方が住んでおられる。
また松尾芭蕉はこの地を元禄3年(1690)に訪れた時、「一里(ひとさと)はみな花守の子孫かや」と詠んだ。