【写真 千賀地城址の服部半蔵と藤堂采女生誕地の碑】
三大上忍の一人。服部半蔵は伊賀忍者の代名詞であるが、半蔵保長は上野の予野の旧名を姓として千賀地半三保長ともいう。
半蔵正成は保長の子で、早くから伊賀を出て家康に仕えた伊賀忍者の頭領として有名である。
天正10年(1582)の神君伊賀越では、半蔵正成は伊賀者200人と供に家康を助けたとある。その後、八千石の旗本となり与力30騎、伊賀同心200人の頭領として活躍し世に鬼半蔵と呼ばれた。
『寛政重修譜家緒』に、「三河国西郡宇土城夜討の時正成16才にして伊賀の忍びの者6,70人を率い城内に忍び込み戦功を励ます」とある。忍術秘伝書『忍秘伝』は、初代服部半蔵保長が著して、正成に授けたと伝わる。