武蔵坊弁慶と並ぶ義経四天王の一人
【写真 伊勢三郎義盛の碑】
武蔵坊弁慶と並ぶ義経四天王の一人。
『正忍記』に源義経が忍びを使ったとある。これは伊勢三郎義盛一党のことと考えられる。別名、義経が会った時は、焼下小六という名で鈴鹿山の山賊頭領であった。
『伊水温故』に、幼少の頃、村之長である中井と云う者に育てられ、この村を三郎村と呼んでいたのだが、伊勢三郎義盛の名よりこの村を三郎村より転じ才良と呼ぶようになったとある。
伊勢三郎も忍者の祖とされ、特に『義盛百歌』という忍者の心得を歌にして伝えたものがあり、『萬川集海』にも多数引用されている。一例をあげれば「忍びには習いの道は多けれどまず第一は敵に近づけ」などの歌があり、忍術のポイントを歌にし非常に興味深い。