Author Archives: NINJA01
忍者のナンバープレート
伊賀市と甲賀市が県域を越えた連携事業として取り組んでいる忍者のデザインが入ったご当地ナンバープレートの交付枚数が、昨年4月2日の開始から1年間で伊賀市819枚、甲賀市622枚の計1441枚だった。 &nbs … Continue reading
鈴降稲荷神社
鈴降稲荷神社は、港区赤坂にある稲荷神社です。鈴降稲荷神社は、本能寺の変に際して徳川家康が大阪から三河へ逃れる際、伊賀山中で観音堂の堂主山名孝倫から厨子に納められていた三箇の鈴を受領、無事浜松に戻れたことから、江戸開府後に … Continue reading
明屋敷伊賀者組頭格 内田弥太郎
明屋敷伊賀者組頭格 内田弥太郎 嘉永元年4月より明屋敷伊賀者から浦賀奉行手付となった内田弥太郎は、明治政府に出した経歴書に異国船来航時に手伝ったとあったが中々記録が見つからなかった。『南浦書信』嘉永6年12月2日の戸田氏 … Continue reading
伊賀坂
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。 伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷が … Continue reading
伊賀町
東南端の土堤上は築地屋敷と称し、そこに伊賀の忍者衆が居住したので町名となった。(『日本歴史地名大系第24巻 三重県の地名』)http://blog.goo.ne.jp/rekishi_tabi/e/12e55458a96 … Continue reading
服部家住宅
服部家は、伊賀国服部郷の出身で、南北朝以来、上服部家の統領は、伊賀守(いがのかみ)を名乗っていました。 http://www.aichitabi.com/yatomi/hatori.html
笹寺
伊賀組同心のストライキ 徳川家康の艱難辛苦に満ちた生涯を表から裏から支え続けた服部半蔵正成は、関ヶ原の合戦を4年後に控えた慶長元(1596)年、55歳でこの世を去りました。 正成亡き後、嫡男の正就<まさなり> … Continue reading
服部半蔵奉納の仁王像
宝永3年(1706)銘。伊賀衆の服部半蔵が、付近にあった高松寺(廃寺となっている)に寄進したものです。 徳川家康より伊賀衆に橋戸村・白子村の一部(現在の大泉周辺地域)を給地されたことに関する資料としてばかりでなく、区内に … Continue reading
伊賀町(備中高橋)
「伊賀町」は.頼久寺町と向町が交わる龍徳院前の踏切付近から,紺屋川の右岸を奥万田、楢井方面ヘと登る坂道(楢井坂)に沿う細長い町で、秋葉山の南麓に位置する町であります。池団長幸が.元和3年(一六一七)に入国し、下級武士の屋 … Continue reading
荻窪
≪荻窪の由来と伊賀忍者≫荻窪の由来は、地名発祥由来の寺と言われている「光明院・杉並区上荻2-1-3」 に残っています。 当時の記録によると、和銅元年(708年)一人の修行僧が観音様をおぶって この地を通ると、不思議にも尊 … Continue reading
伊賀組
伊賀組組頭・服部仲の組屋敷だったことから四谷仲町となった。元禄の地震による火事の後は仲殿町と御駕籠町となった。伊賀組(いがぐみ)は江戸幕府における百人組の一つ。百人組は同心百人が配属されたことから鉄砲百人組とも称される。 … Continue reading
伊賀町
昔の公図等を見ると、当時の小屋町に小字で伊賀という地名があります。春日岡城の周辺にはお城に仕えた武家達の屋敷があって、伊賀に縁のある侍(小姓)が屋敷を構えていた辺りが、地名として現在の町名に結びついたと考えられます。ht … Continue reading
伊賀八幡宮
伊賀八幡宮は、松平四代・親忠が松平家の氏神として三重県の伊賀から迎え、武運長久・子孫繁栄を祈願するための八幡宮を祀ったものです。 伊賀にちなんで伊賀八幡宮と名付けるともに、鎮座した土地の名も伊賀と変えました。この伊賀八幡 … Continue reading
氷川神社
江戸時代から明治の中ごろまで橋戸村といった。ほとんどが幕府直轄の村ばかりあった練馬区内としては、数少ない私領で、忍者服部半蔵率いる伊賀組の給地であった。その伊賀衆奉納の御手洗(みたらし)が氷川神社(大泉町5-15)境内に … Continue reading
笄町
町名の「笄」とは女性の日本髪に用いられた「簪(かんざし)」と並ぶアクセサリーのひとつであり、名の由来にはそれにまつわるエピソードもある一方、甲賀と伊賀両家の屋敷にちなみ「甲賀伊賀町」転じて「笄ヶ町」から「笄町」となったと … Continue reading
赤目不動尊
この不動尊は、もとは赤目不動尊と言われていた。元和年間(1615~24)万行和尚が、伊賀国の赤目山で、黄金造りの小さな不動明王像を授けられ、諸国をめぐり、いまの動坂の地に庵を結んだ。 寛永年間(1624~44)、鷹狩りの … Continue reading
半蔵門
江戸城の西側にひときわ深い堀と立派な門がありますが、この堀を「半蔵濠」、門を「半蔵門」といいます。 服部半蔵は、徳川家康の三河時代からの旧臣で、本名を石見守正成といい、伊賀者(忍者)の頭でした。 徳川家と伊賀忍者との関係 … Continue reading
半蔵門駅
半蔵門線(はんぞうもんせん)は、東京渋谷区の渋谷駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)の鉄道路線。鉄道要覧における名称は11号線半蔵門線である。路線名の由来は徳川家康の家臣・服部半蔵正成の屋敷の側にあっ … Continue reading
忍者地蔵
臨済宗系単立寺院の祥山寺は、瑞渓山と号します。祥山寺は、壁誉長老禅師(永禄2年1559以前の人で)が開山となり文禄4年(1595)麹町付近に創建、寛永年間に当地へ移転したといいます。伊賀衆の菩提寺として名高く俗に忍者の寺 … Continue reading