下柘植ノ木猿・小猿

007_Shimotuge_kizaru

【写真 霊山寺】

『萬川集海』に登場する、11人の忍術名人の中の2人、兄弟か親子だろう。立川文庫『猿飛佐助』や白土三平著『サスケ』のモデルになったと思われる。

『萬川集海』「歩法四ヶ条」に、「浮足トハ木猿伝ノ枝葉ノ意デアリ口伝アリ」。同じく、「利便地十二ヶ条」には、伊勢の田倉城ヘ忍び込んだ際に城内に入り放火して落城させた話、「見敵術四ヶ条」には、犬の吠える声を真似て敵の怒りを誘い、その怒鳴り声で相手の寝ている場所を確かめ討ち取った話がある。

下柘植では、中世、平定盛の子孫平宗清を祖とする日置一族が蟠踞したと伝わる。『三国地志』には、日置弾正が伊賀の出自とある。日置流は和弓の流派の一つで現代も小笠原流と2代流派の一つだ。

このように、伊賀は武術が盛んであったと考えられる。下柘植に日置城、西之城、高石館が『三国地志』に記される。また、伊賀最高峰霊山の中腹にある霊山寺は黄檗宗、十一面観音が本尊である。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち, その他の人物 | Tagged , |

楯岡ノ道順

006_Tateoka_dojun

【写真 湯船の宮杉家墓碑】

『萬川集海』に書き記されている、11人の忍術名人の中でも抜群の忍者であった。姓は伊賀崎。寛永13年(1636)の『伊勢国司諸司系図』に登場する20人の忍びの衆にも名があがるほどである。

上忍藤林長門守に属したと考えられる。近江の六角義賢の家臣百々が裏切り、沢山の城に立て籠もった。長門守に命じられた道順が、伊賀者44人甲賀者4人48人で攻めることになった。

途中、湯舟の宮杉という陰陽師に占ってもらうと「沢山ニ百々トナル雷モイカサキ入レバ落ニケル哉」という歌を送られ大いに喜んだとある。妖術(ばけもの)の術を使い沢山城に忍び、城内に火を放ち落城させたと記される。

楯岡には道順高弟の大炊氏城跡が残っている。また、湯船の寺には宮杉家の墓碑が残り、『萬川集海』の記述の裏付けが取れる。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち, その他の人物 | Tagged , |

新堂ノ小太郎

005-_Sindo_eki

【写真 JR新堂駅】

『萬川集海』に登場する11人の忍術名人の忍者。澤村家所有の『萬川集海』には、姓が書き記される。「金藤」だったと伝わる。

『伊乱記』にも新堂金太郎という名がみえる。小太郎が佐那具の城に忍び込んだ時に見つかり、逃げる途中に石を井戸に投げ込んで敵に井戸に落ちたと思わせその隙に逃げた話。また、病人に変装して播磨のアタラの城に侵入した話がある。

これらの話から伊賀の各地では、土豪同士も忍者を使い争っていたり、忍者が他に雇われていたことがわかる。

なお、JR新堂駅北にある神明神社は、柏野の藤位神社、御代の諏訪神社、楯岡の新明神社が合祀された神社だ。藤位神社にあった大般若経は天正伊賀乱後、灰燼の中から取り出したと伝わり、この大般若経周囲には焼けた跡が残る。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち, その他の人物 | Tagged , |

徳永寺

tokueiji

徳川家康が、伊賀越えの際、休憩に立ち寄ったとされる浄土宗の寺。この時のお礼として、後日、徳川家の家紋である葵の紋の使用が許されたといわれています。

地図の中心へ
ルートを検索

Posted in いがまち, 伊賀地方の史跡, 史跡 | Tagged , |

白藤滝

003_Shirafuji_no_taki

【写真 白藤の滝】

紅葉の季節、この滝はお勧めだ。伊賀最高峰、霊山(766m)が聳える。白藤滝はその霊山中腹にある。滝には休息所やトイレなどの施設がある。

戦前、滝入口前には茶屋があり、けっこう賑わっていたという。かって、滝は30メートルあったが、明治29年の大洪水で滝口が決壊、滝壺も埋没したので半分になった。

不動明王像も滝そばにあったが、その際に流されたので、入口に再び祀られている。

大きなアカガシの木を横目にして降りと、滝から岩に跳ね返る水しぶきからマイナスイオンが浴び元気がでる。

「伊乱記」に米野氏、徳山氏、亀井氏が山畑の戦士と記される。忍者は、常に生死が紙一重だ。「臨兵闘者皆陣列在前」の九字を切り、織田軍に戦いに臨むが砕けてしまう。山畑の忍者は白藤滝で修行をしていたという。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち | Tagged , |

澤村甚三郎

002_Sawamura

【写真 澤村家屋敷 非公開】

家伝では神護景雲3年(763)に春日神社が勧請された時より川東に住み、中世は土豪として川東一帯を治めていた。

澤村家は春日神社の真南に位置し、屋敷周囲は今なお土塁や堀が残る見事な中世城館である。『三国地志』、『伊乱記』、『伊賀付差出帳』にも名があり、津藩2代目藤堂高次の代より江戸時代まで伊賀者として仕えている。

『隠密用相勤候控』『澤村家由緒書』には、伊勢国一揆の動向の探索や異国船接近の偵察をしたとある。特筆されるのは、嘉永6年(1853)にペリーが黒船4隻で浦賀来航の際、甚三朗保祐は老中の命により、最後の伊賀者としての黒船探索を行った。

探索の証拠としは乗組員より2通のオランダ語の書類などが残っている。また、携帯用の狼煙筒、水中松明などの忍器も残されている。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち, その他の人物 | Tagged , |

忍者岳

001_Ninjadake

【写真 忍者岳】

奧余野公園駐車場から出発すると、「ぞろぞろ峠」を目指し、川沿いの道を歩けば半時間程で景色が広がる。木津川源流の一つ。

「ぞろぞろ峠」は伊勢への古道。伝承では源義経の軍路、壬申の乱での大海皇子、そして、斎王の群行路として使われたという、尾根歩きからは絶景だ。三国岳は名の通り三国、伊賀、甲賀、伊勢を見渡せる。

途中急勾配あり、幅がわずか30cm程の箇所もある。さすが忍者の名がつくだけある。半時間ほどで、忍者岳のプレートを(標高728m)見られる。

残念ながら忍者岳からの眺めはほとんどない目立たない山だ。忍者は目立ってはいけないので、その名にふさわしいだろう。

十数年前公園整備のため地図を作ったが、名がつけられていない山があり、伊賀甲賀の間にあるので忍者岳になったという。

地図の中心へ
ルートを検索
Posted in いがまち | Tagged , |

忍者の起源

Syotoku-taishi

【聖徳太子】

はじめて忍者が記録に出てくるのは、6世紀に大伴細人(おおとものほそり)という人が志能便(しのび)として聖徳太子につかえたという記録が残っています。
大伴細人は伊賀か甲賀の出身と言われています。

Posted in エピソード | Tagged , , |

忍術の発祥地

Another-name-of-the-Ninja

【流派の分布地図】

伊賀(三重県)と甲賀(滋賀県)の実技が最も優れた忍術と言われています。
伊賀と甲賀は京都に近く、渡来人がもたらした先進的な文化があり、政治的な亡命者も多かった。また、山の多い地形がゲリラ的な戦術を発達させました。

日本全国に忍術の流派がみられますが、その多くは伊賀流と甲賀流が起源でした。

Posted in エピソード | Tagged , |

天正伊賀の乱

戦国時代の伊賀国は、在郷の柘植、川合、長田、名張など国人衆により分割統治されていました。またそれらは一族ごとに「党」を形成して団結していたのです。

天正七年(1579)、かねてより伊賀の「権力に屈することなき(万川集海より)」独立統治に不満を抱いていた織田信長の伊賀支配は、北畠信雄(信長の子)挙兵というかたちで始まりました。天下人と一国との全面戦争の勃発です。

信雄は阿波口、鬼瘤越え、伊勢口の三道より攻め込みました。伊賀の諸豪はいち早くその動きを察知し、天童山、大岡寺、上野の平楽寺などを拠点に迎え撃ったのです。結果は地の利をいかし、火薬の扱いに長けていた伊賀軍に軍配が上がり、織田軍は撤収しました。これが第一次伊賀の乱です。

惨敗に激怒した信長は、天正九年(1581)、安土に諸候を召集、伊賀攻めを発表。当時の伊賀国の人口の半分にあたる五万弱の兵を率いて伊賀を進行したのです。この時伊賀軍はわずか数千。それでも一カ月間持ちこたえたとされてますが、人口の半分が死に、全域が焦土と化し、一切の建造物は潰滅したことが記録(伊乱記)に残っています。

こうして第二次伊賀の乱は、歴史に残る最大の悲劇で幕を閉じました。一国の庶民、武士が一丸となって、時の権力者に敢然と立ち向かった影に、忍者の活躍があったことはいうまでもありません。

Posted in エピソード | Tagged , , |

伊賀越え

徳川家康はその生涯で四度の大難に遭ったと心の中の思いをのべていますが、中でも「伊賀越えの難」は「御生涯艱難の第一」と徳川実紀に記しています。
戦国の風雲児・織田信長が明智光秀の反逆によって生害という知らせを家康が受けたとき、境見物の帰路、河内の飯盛山の麓(大阪府大東市)でした。この時の共は酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政、服部半蔵など重臣ばかりであったが、三十数名に過ぎず、その上、平服だったのです。
家康は「本来なら明智を討伐すべきだが、この少人数ではどうしょうもない。むしろ知恩院にて切腹を」と言ったが「本国に帰りの軍勢をととのえて、明智を誅伐することこそ信長公への報恩」という本多忠勝の進言により、脱出の方途の相談となりました。

信長より案内役として同行していた長谷川秀一の先導により、おそらくは河内尊延(円)寺(大阪府枚方市)から宇津木越えから、山城に入り草内から木津川を渡って宇治田原を経て近江信楽。その後小川から多羅尾、御斎峠、伊賀丸柱にいたり鹿伏兎を越えて伊勢にぬけ、船で三河へ帰国したいと考えられます。

伊賀に入るまでの難関を命がけで護衛したのが、大和の十市玄蕃允、呉服部明神の神官服部貞信、信楽の豪族多羅尾光俊、宇治田原の山口光広、近江瀬田の城主山岡景隆と弟の景友(後の道阿弥)らです。反乱には付き物の野伏や一揆などにさいなまれはしましたが、無事伊賀に入り、その後は柘植三之丞など甲賀・伊賀の地侍が伊勢白子浜(鈴鹿市)まで案内したと言うことです。この事跡を後世、神君伊賀越えなどと呼んでいます。

家康は、この時の甲賀・伊賀者二百名を召し抱え、服部半蔵正成をその組頭としました。これが伊賀組同心の起こりです。

参考文献「徳川実紀」「伊賀者由緒」「三河後風土記」

Posted in エピソード | Tagged , , , |

1日の成功祈願の術

目覚めて、すぐに

忍者たちは、夜が明けると、太陽に向かって九印を結び、陽のエネルギーを己の体内にとりこみ、気を高めたという。
またこれによって、自分のあるべき姿をつくりあげ、そして一日に向かう心構えをしていた。
ビジネスマンたちも、充実した日を願って、朝に九印を結べば、一日のパワーが呼び起こせるのだ。

morning01

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , |

1日の活力維持の術

朝のウォーミングアップ

忍者たちが毎日行なっていた鍛練法のひとつで、腕立て伏せのポーズをとり、手の拳を丸め、足はつま先立ちで5分ほどそのままの状態を保つ。
これにより腹筋を鍛え、おなかに贅肉がつくのを防止する。見た目にはたいした風には見えないが、これがけっこうハード。
朝、わずか5分ほどのエクササイズで、快適な一日と美しい身体を呼び起こしてくれる。

morning02

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , |

常食健康の術

でかける前の朝食

忍者は、玄米、豆腐、野菜、小魚、ごま、梅干、みそなどを基本にした、「忍者食」を常食としていた。
獣の肉を食べない忍者にとって、特に豆腐は過酷な運動量を支えるエネルギー源として、毎日のように食されており、隠密行動に支障をきたすような太り過ぎの防止と、持久力の維持にも欠かせなかった。
現在でも低カロリーで、栄養豊富な豆腐は、理想的なダイエット食として注目を集めている。

morning03

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , , , , , |

心願成就の術

オフィスでの早朝ミーティング

忍者たちは行動を起こす前、必ず全員で九印を結び、ひとりひとりの士気と仲間同士の結束力を高めていた。
オフィスでも朝のミーティングにおいて、一日の心構えとビジネスの成功を祈って、全員で九印を結び、充実したビジネスをスタートさせたいものである。

business01

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , , , , |

マルチメディアの術

オフィスでの朝一番の情報収集

忍者たちは、情報収集を主な任務としていたが、忍者の優劣は、必要とされる情報をいかに早く集めるかにかかっていた。
情報社会の現代においては、コンピュータ通信やインターネット、電子メールなどの情報メディアを活用することで、ビジネスに必要な情報をスピーディーにしかも効率よく入手することができる。
その結果、余計なストレスをためずにビジネスが行なえるのである。

business02

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , , |

コミュニケーションの術

ビジネス始動前に

忍者たる者一人では忍者たり得ず。それぞれの方面、分担ありとても、味方の完勝を期して必ず連絡協調し、一致団結して秩序の維持に当たること。
という忍者の掟がある。現代のビジネスでも俗にいう「ホウ・レン・ソウ」と言う言葉が定着しており、報告、連絡、相談の3つはビジネス活動でも重要な役割をしめる。
なかでも連絡を密にしておけば、ことが起こりにくく、自らも安心でき、それだけストレスを減らすことができるのである。

business03

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , |

情報分散の術

各クライアントへ出発

いざというときのために、自分の分身ともいえる確かなパートナーを多く持つということは、ビジネス活動に重要な意味をなす。
一人ではどんな優秀なものでも、必ずや限界が生じ、その結果多大なストレスをまねいてしまう。
忍者たちは情報の網の目をより広くはりめぐらすために、日頃から人脈の開拓に力を注いできた。
ビジネスにおいても、信頼できるパートナーがいるということほど、心強いものはない。

business04

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , , |

二重息吹の術

午前中のアポイントメント

有能なビジネスマンは、ぎっしり詰まったスケジユールを消化するために、普通の人の何倍もの距離を移動しなければならない場合がある。
現代では、車や電車など移動手段が発達していても、やはりスピーディーな行動の最後の決め手は己の足であり、時として走ることもあるはず。
こんな時、忍者独特の呼吸法を用いれば、楽に走ることができる。

business05

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , , |

士気高揚の術

クライアントのエントランスにて

現代のビジネスも、メンタルな意味での戦場である。
重要な商談の時など、ビジネス戦線の知将として、巧みに戦略を立て、有利に交渉を進めなければならない。
忍者たちが戦いの前、九字を切って士気を高めたように、重要な商談に臨むときは、九字を切ると効果的。
静かな闘志が自然と湧いてくる。

business06

Posted in 現代忍者ライフ | Tagged , |