Author Archives: NINJA01
上野ノ左
【写真】 『萬川集海』に登場する11人の忍術名人の忍者。菊岡如幻が著した『伊賀国忍術秘法』の冒頭に『萬川集海』と同じく忍者の勇士として11人の名があり、「上野ニ左兵衛、高場氏、是に子細在り」とある。 上野は室町期より名が … Continue reading
式部塚
百地丹波守と恋愛関係になったため、嫉妬に狂った本妻に殺された女性を弔った塚。この女性が式部の官職にあったため式部塚と呼ばれ、はさみを供えると夫や恋人との悪縁が切れるといわれています。
藤堂采女
【写真 上野市西連寺にある墓】 『寛政重修諸家譜』によると藤堂采女元則は服部半蔵正成とは同族の予野生まれ。 その後紀州土豪保田氏の保護を受け、藤堂高虎が今治に居た時代より高虎に仕え、慶安4年(1640)に上野の城代家老を … Continue reading
伊賀四十九院
【写真 弥勒寺廃寺】 『伊水温故』によると田守とも称した。木津川支流久米川下流の地にあり、行基が聖武天皇の勅を奉じ諸国に四十九院を創建しその一院が当地に建てられ四十九院村と呼ばれる。 伊賀は大和と共に現世仏教が布教れた地 … Continue reading
服部持法
【写真 服部氏館跡】 南伊賀黒田の悪党大江氏と並び、北伊賀には服部惣家、名誉大悪党張本と呼ばれた服部右衛門太郎入道持法の館跡がある。 『三国地志』に「服部氏宅址按、平内左衛門家長、初此に地着すと云」とある。 荘園名主の武 … Continue reading
服部半蔵
【写真 千賀地城址の服部半蔵と藤堂采女生誕地の碑】 三大上忍の一人。服部半蔵は伊賀忍者の代名詞であるが、半蔵保長は上野の予野の旧名を姓として千賀地半三保長ともいう。 半蔵正成は保長の子で、早くから伊賀を出て家康に仕えた伊 … Continue reading
花垣の八重桜
【写真 花垣神社の芭蕉句碑】 服部一族氏神。服部半蔵(千賀地半蔵)家は紀州保田庄の豪族の出で当地の服部家を継いだ。興福寺領であり古来より八重桜が本当に美しく花垣郷と呼ばれた。 予野は『沙石集』巻九の「芳心アル人ノ事」の段 … Continue reading
鍵屋の辻
【写真 数馬茶屋】 越鍵屋の辻の決闘は、寛永11年(1634)、現伊賀市荒木馬苦労町、鍵屋の辻で起こった。 事の起こりは、寛永7年(1630)、岡山藩主池田忠勝の小姓であった渡辺数馬の弟、源太夫が、同僚の河合又五郎に斬り … Continue reading
無量寿福寺
伊賀国惣国一揆の12人の評定衆が評定を開いた場所の一つです。第一次天正伊賀の乱の際、伊賀衆はここを拠点に丸山城の織田勢を攻めました。
丸山城跡
第一次天正伊賀の乱の舞台となった城。織田信雄による丸山城築城を知った伊賀衆がこれを攻撃し、撃退しました。
忍町
【写真 忍町の武家屋敷】 今なお”忍”の名が残る上野市三之町筋南側には、かつて藤堂藩伊賀者の屋敷があった。『宗国史』には雑色廠とある。 寛永(1624〜1643)や寛文(1661〜1672)頃の絵 … Continue reading