Author Archives: NINJA01

夏焼太夫

【写真 灯籠】 名張北部黒田に夏秋という集落がある。地元では「ナッチャケ」と呼ぶのは夏焼と呼んでいた名残と考えられる。夏焼は夏の作物が日焼けする土地の事。 『東大寺文書』によれば黒田の悪党大江貞房は夏焼兵衛尉と呼ばれた。 … Continue reading

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弥勒寺

鎌倉時代から室町時代に作られ、木造で162cmの伊賀で最も古くて大きい役行者像があります。他にも国指定重要文化財で、平安時代に作られた木造聖観音立像や、木造十一面観音立像も収蔵されています。

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加納神社

美旗新田にある、『日本書紀』には、この辺り一帯は皇室の狩猟所ないし薬草採集地の禁野とある。 江戸時代、ここで新田開発を提案したのが、加納藤左衛門直盛。直盛の父は藤堂髙虎に仕え朝鮮役や関ヶ原、大坂陣に活躍。その跡を継ぎ直盛 … Continue reading

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極楽寺

【写真 極楽寺】 鎌倉時代に道観という長者が一ノ井に住んでいた。道観は赤目の九か村を支配し栄華を極める。しかし、没落し奥山里香落渓に移り住む。 やがて、自分の不徳を悔い改め、東大寺二月堂の再建に寄与。道観遺言により松明調 … Continue reading

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北畠城

【写真 北畠城】 奈垣と神屋の境界にあたる、通称城山と呼ばれる中世城館跡。伊勢国司滅亡の際に、北畠一族の再興を計って築かれた北畠具親の城跡である。 山の丘頂には本丸と思われる大地、北には館があったと思われる二の丸、空堀を … Continue reading

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黒田庄

【写真 黒田庄遠景】 黒田庄は東大寺支配板蠅杣に始まった、南伊賀大半を占めた古代、中世の大荘園。弘安年間(1278〜1288)、黒田荘は東大寺配に反抗勢力の拠点であった。彼らを黒田の悪党と呼ぶ。 悪は「悪者」でなく「強者 … Continue reading

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観阿弥創座の地

【写真 観阿弥像】 楠木正成が悪党として足利尊氏を悩ませたのことは有名だ。忍術秘伝書に楠木正成が忍者の始祖と記される。 『上島家観世系図』が伊賀で近年発見された。正成の妹か姉が観阿弥の母親にあたるという。「母河内国玉櫛庄 … Continue reading

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百地丹波守三太夫生

【写真 百地三太夫石碑】 三大上忍の一人『賊禁秘誠談』によると百地三太夫は天下の大泥棒石川五右衛門の師匠で有名であったが、三太夫の名は史実的には見出せない。 『伊乱記』に、天正伊賀乱に参加した百地は百地新之丞、同太郎左衛 … Continue reading

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延寿院

役行者が開いたとされる寺。天正伊賀の乱の際、織田勢に焼かれましたが、今から約400年前に復興されました。その際に植えられたシダレザクラが毎年きれいな花を咲かせます。

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赤目四十八滝

【写真 不動滝】 名張川支流滝川の上流にある。かつて赤目滝は黄滝あるいは阿弥陀滝と呼ばれていた。 永治2年(1142)『東大寺文書伊賀黄滝寺西蓮勧進状案』に黄滝の名が見える。役行者の行跡地とされ、修験者が参集する霊場とし … Continue reading

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国見山

【写真 吉田兼好石碑】 川上・老川地区の南に位置する。東北部を川上川、西部を前深瀬川が北流。霧生、高尾に抜ける道があるが、大部分は山地。 『伊勢国司諸司系図』によると、戦国時代には、北畠氏の家臣に、種生往社寺奉行の小岳周 … Continue reading

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霧生城

【写真 霧生城】 「きりゅう」と読む。伊賀は霧がよく発生する。忍者と霧は切り離すことは出来ない。「遁甲」には霧は欠かせないのだ。 霧生は伊勢国との境にあり特に霧がよく発生したのでこう呼ばれた。 初見は東大寺が朝廷に黒田悪 … Continue reading

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滝半九郎

【写真 竜泉仙寺】 藤堂藩伊賀者に滝半九郎という忍者がいた。 寛永13年(1636)、「伊賀付差出し帳」末尾の「忍衆廿人名寄」に、切米拾八石四人扶持・滝半九郎の名が記される。寛永・寛文期の上野城下町絵図の忍町に屋敷がある … Continue reading

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藤原千方

【写真 千方窟】 地元では「千方将軍」の伝説がある。『太平記』によると、平安の頃、藤原千方という者が4匹の鬼を使って謀反をおこし、朝廷側を苦しめた。 それぞれの鬼は、射ても矢の立たない「金鬼」、大風を吹いて敵城を吹き飛ば … Continue reading

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菊岡如幻

【写真 菊岡如幻生誕家の石碑】 菊岡如幻は寛永2年(1615)に生まれるが、出自は清和源氏頼政の流れをくみ島ヶ原菊岡村より起こる。本名捨松、随性軒とも称した。 如幻は伊賀上野で質商を営む裕福な商家を継ぐ一方、学問を好み北 … Continue reading

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島ヶ原行者堂

役行者を大峯山から勧請して作られた堂。自然石の窟の中に石刻の役行者と不動明王が祀られています。行者堂から小山川を挟んだ東側には、南北朝時代から室町時代に制作されたと推定される阿弥陀崖仏があります。

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観菩提寺正月堂

東大寺の別院として建立されたといわれ、源頼政の家来・渡辺競の末裔を称した島ヶ原党の象徴。島ヶ原党は、第二次天正伊賀の乱の際、伊賀衆の一員として参戦しますが、正月堂を守るために降伏しました。

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島ヶ原党

【写真 正月堂】 島ヶ原党は源頼政家来の渡辺競一族の後裔と称し「三星下一文字紋」の家紋を同じくした。 元弘元年(1331)に笠置山合戦で後醍醐天皇側として参戦した。その際に下賜された菊紋陣幕と太刀は島ヶ原党の象徴として保 … Continue reading

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永井城

【写真 出後公園より見える永井城跡】 出後には比較的大きい規模の城跡が多く残っている。永井城跡は出後から喰代へ通じる道左手の丘の頂にある。 『三国地志』には城主は永井内膳とあり、城には見張り台が残る。 『伊乱記』によると … Continue reading

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阿波館

【写真 阿波館】 寛永13年の奥書がある、『伊賀付差出帳』という文書がある。この文書は藤堂藩初期の伊賀付分限帳である。その末尾に「忍衆二十人名寄」がある。 これは伊賀上野城代と伊賀奉行の連署にて江戸家老に差しだしたもので … Continue reading

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