Author Archives: NINJA01
国見山
【写真 吉田兼好石碑】 川上・老川地区の南に位置する。東北部を川上川、西部を前深瀬川が北流。霧生、高尾に抜ける道があるが、大部分は山地。 『伊勢国司諸司系図』によると、戦国時代には、北畠氏の家臣に、種生往社寺奉行の小岳周 … Continue reading
霧生城
【写真 霧生城】 「きりゅう」と読む。伊賀は霧がよく発生する。忍者と霧は切り離すことは出来ない。「遁甲」には霧は欠かせないのだ。 霧生は伊勢国との境にあり特に霧がよく発生したのでこう呼ばれた。 初見は東大寺が朝廷に黒田悪 … Continue reading
滝半九郎
【写真 竜泉仙寺】 藤堂藩伊賀者に滝半九郎という忍者がいた。 寛永13年(1636)、「伊賀付差出し帳」末尾の「忍衆廿人名寄」に、切米拾八石四人扶持・滝半九郎の名が記される。寛永・寛文期の上野城下町絵図の忍町に屋敷がある … Continue reading
藤原千方
【写真 千方窟】 地元では「千方将軍」の伝説がある。『太平記』によると、平安の頃、藤原千方という者が4匹の鬼を使って謀反をおこし、朝廷側を苦しめた。 それぞれの鬼は、射ても矢の立たない「金鬼」、大風を吹いて敵城を吹き飛ば … Continue reading
菊岡如幻
【写真 菊岡如幻生誕家の石碑】 菊岡如幻は寛永2年(1615)に生まれるが、出自は清和源氏頼政の流れをくみ島ヶ原菊岡村より起こる。本名捨松、随性軒とも称した。 如幻は伊賀上野で質商を営む裕福な商家を継ぐ一方、学問を好み北 … Continue reading
島ヶ原行者堂
役行者を大峯山から勧請して作られた堂。自然石の窟の中に石刻の役行者と不動明王が祀られています。行者堂から小山川を挟んだ東側には、南北朝時代から室町時代に制作されたと推定される阿弥陀崖仏があります。
観菩提寺正月堂
東大寺の別院として建立されたといわれ、源頼政の家来・渡辺競の末裔を称した島ヶ原党の象徴。島ヶ原党は、第二次天正伊賀の乱の際、伊賀衆の一員として参戦しますが、正月堂を守るために降伏しました。
島ヶ原党
【写真 正月堂】 島ヶ原党は源頼政家来の渡辺競一族の後裔と称し「三星下一文字紋」の家紋を同じくした。 元弘元年(1331)に笠置山合戦で後醍醐天皇側として参戦した。その際に下賜された菊紋陣幕と太刀は島ヶ原党の象徴として保 … Continue reading
永井城
【写真 出後公園より見える永井城跡】 出後には比較的大きい規模の城跡が多く残っている。永井城跡は出後から喰代へ通じる道左手の丘の頂にある。 『三国地志』には城主は永井内膳とあり、城には見張り台が残る。 『伊乱記』によると … Continue reading